なんで、ものづくりなんだろう?

今日はちょっと哲学的に考察してみます。
なんでcheeleeはものづくりがついつい気になってしまうのでしょう?

気持ち、布と木工系に偏ってるけど、
それに関わるものは割と何でも作ってみたい。
作れるようになってみたい。
それに、別ブログで以前書いていたのは
街並みと広場のこと。

“ものづくり”と“街並・広場”
この二つに共通することはなんなんだろう?
この疑問にようやくちょっと解がでそうです。
それは、ヒューマンスケールってこと。

これは森麗子さんを知った時につられて作った何か。


“小商いのすすめ”(平川克美・ミシマ社)っていうのを
最近読んでいるんですけど、
その中に、こういうくだりがあったんです。
ちょっと長いけど。

“東京という巨大な都市の中空には、網の目のように
高速道路が走っています。
それらは、人間が歩くための道路ではありません。
車が時速80kmとか100kmで疾走するための道路です。

人間に備わった身体をどんなに鍛え上げても時速100kmで
走ることなんて出来ません。もし、自動車に乗っていれば、
高速道路は大変便利な交通路ですが、歩いている人間に取っては
何の利便性も提供しない、
むしろそれがあることで回り道を余儀なくされたり、
危ない目にあったりと、無用で邪魔な存在でしかありません。

つまり、高速道路はヒューマン・スケールで
つくられたものではないということです。

産業革命以後の文明の進展は、
まさにこのヒューマン・スケールを超えようとする
技術革新の歴史でした。産業革命とは、人間生活の側から見れば、
力の拡大であり、時間の短縮であり、空間の圧縮でした。
技術とは、これらの作業を手や足で行っていた人間に、
協力な梃子(てこ)を与えるものでした。

それまで何時間も歩いて移動していたひとびとは、車の出現によって、
数分で目的地にたどり着くことが出来るようになりました。

職人たちが、重い材料を運び、汗を掻きながら、
削ったり曲げたりして作り上げていたものを、
オートメーション化された工場では、
大量に、短時間で生み出しました。”


ここを読んで、本をぱたりと取り落として、
“そうか!”と思った訳ですよ。
なんでそう思うのかは分からないけど、要は、
ヒューマンスケールからかけ離れちゃってる今の街や、
いろんなショップやショッピングセンターで買うことでしか
手に入れられない布やプロダクトを、
もっとヒューマンスケールに落とし込みたいのかな、って。

言い方が回りくどいけど、
ものづくりでいえば、洋服一枚にしたって、
家具一つにしたって、自分で作れるなんて人、今ほとんどいない。
cheeleeは単純にどうやったら洋服や、家具を
自分で作れるんだろう、その作り方を知りたいし、作りたい、と思う。
そういう意味で、もっとヒューマンスケールに落とし込みたい。

専門の学校に通った人だけが、洋服を作れる、家具を作れる、
家を作れるって言うんじゃなくて、
洋服や家具や家くらい、生活に関わる基本的なものづくりは、
普通に義務教育を受けたらマスターしてるっていうのに憧れる。

街並や広場に関して言えば、本にあった通り、
車でしか移動できない高速道路ばかりの街が
ヒューマンスケールである訳ないし、
ヒューマンスケールではない、ということは、
どんなに頑張っても「人に取って気持ちのいい場所」である訳が無い。
街の全部が全部高速道路で出来ている訳じゃないけど、
今の街には圧倒的に「人に取って気持ちのいい場所」が少ない。
そういうことで良い街並や広場が欲しいのは、
人が気持ちよく過ごせる場所が街に欲しいって言う思いから。

まあ街並って言うのは見た目の問題で、機能の問題では無いけど、
「人に取って気持ちのいい場所」っていうのが
見た目や雰囲気、居心地も重要って考えれば、そう遠い話ではないはず。

そして広場に関して何がヒューマンスケールなのか、って言うとですね、
つまり今の街は人の分かりやすい欲求…、というよりも、
消費に還元できる欲求に関しては確実に満たしてくれる。
例えばお腹がすいたらファミレスやらファーストフード、
洋服が欲しくなったらショッピングセンター、
食材はスーパーで手に入れて、
娯楽はレンタルDVD屋さんやアミューズメントスポット、っていうように。
その欲求にちょうど一対一で対応するような場所がある。

でも、反面、その間をつなぐべき部分が無い。
無いってのは言い過ぎですね、言うなら、あるけど弱い。

間をつなぐ空間って何か?
それはつまり、何もしない日、
ただふらっと外を楽しむ、っていう時に行きたくなる場所。
子育てに行き詰まった時に、そこにふらっといくと、
同じような人がいて、自然と会話が出来るような場所。
(これは場所だけの問題じゃないけどさ。)
そういう場所がかなり少ない。


歩いて楽しめる街ならまだその間をつなぐ空間が、
自然発生的にできることもあるけど、(会話まで出来るのは場所だけじゃ難しいけど。)
郊外の街だと、単体単体で消費を満足させる今の街の成り立ちが
本当に際立ってる。家を出たら車でファミレス→スーパーに買い物
→最後はDVD屋さんでレンタル、って。


緑道だとか、街路だとか、そういうものはまああるけど、
毎日そこに行きたくなるか、っていうとそういうものでもない。

公園は気持ちのいいスポットになりそうな可能性を
一番秘めているんだけど、どちらかというと行政の対応も
半径何キロ以内にこれだけの公園を作る、っていう定量的な問題だけに
置き換えられちゃって、ここが、生活の基盤の一つである、っていう
意識で作られている訳ではなさそう。だから大人が楽しくなるような公園もない。
そういうアプローチやPRをされている公園も無いような。
それが広場が欲しい、っていうのに繋がった訳ですね。

って、相変わらず、ちょっと熱くなってしまいますわ、広場論になると。
なるほどね、まあそういう理由でものづくりがしたい訳でしたか。